日本におけるテンペの歴史
日本人がテンペに初めて関わるのは1905 年に東京帝国大学植物研究所の斉藤がRhizopousoligosporus の研究、1926~1928 年には台湾総督府中央研究所の中澤がジャワ、スマトラで試料を採取し、分離した糸状菌の研究をしています。戦後間もないころ、食糧研究所の中野、太田はテンペを研究するとともに日本に紹介しています。1960 年、日米大豆調査会会長の林はHesseltine のテンペ製造法を紹介し、日本の企業にテンペ製造を働きかけています。1960 年代中頃からは米国から帰国した大阪市立大学の村田がテンペの栄養価、抗酸化性物質に関する多数の研究報告を発表しています。1970 年代には九州大学の渡辺らが抗酸化性物質の研究を始めています。
1983 年、納豆業界を中心にテンペ事業が始まっています。また、九州大学で第1 回テンペ談話会が開催され、以後第5 回まで開催されています。1985 年テンペを中心とした「第1 回アジア無塩発酵大豆会議」が筑波で開催されました。この会議を契機に平成元年、日本テンペ研究会が設立されました。「第1回アジア無塩発酵大豆会議」の開催時にはテンペがマスコミにも取り上げられましたが、話題性だけで売り上げに結びつかなかったため、テンペの製造を手がけた大手食品メーカーは相次いで撤退してしまいました。しかし、日本テンペ研究会によるテンペの研究と普及活動はたゆまぬ歩みを続け、毎年の講演会と料理講習会を実施してきました。また、大手食品メーカーが撤退した後のテンペの供給元として手作り規模のテンペは小規模ながら全国各地で着実に生産されてきました。
岡山県のテンペ食品の開発と普及
岡山県では県工業技術センターと県内中小企業は共同で、テンペを用いた味噌やコロッケ等の日本人の食生活や嗜好にあった加工食品を開発しています。また、大豆以外の原料を用いたテンペの開発や常温流通を可能にしたテンペ乾燥粉末を作り、加工素材としてのテンペの普及を図っています。現在では大豆テンペの他にハトムギテンペやテンペ粉末、テンペ味噌、テンペコロッケ、テンペラーメン、テンペクッキー、テンペふりかけなど様々な商品が岡山県内で製造・販売されています。これにより新たな需要が開拓され、地域産業形成が進んでいます。