テンペの起源
テンペはインドネシアを発祥の地としていますが、その起源をさぐると不明な点が多くあります。
「THE BOOK OF TEMPEH」(WILLAM SHURTLEFF&AKIKO AOYAGI、1985)によると、テンペ最古の記録は1815年頃、中東部ジャワのスラカルタの王子Sunan Sugih の命令により書かれた「Serat Centini」に見られます。「Serat Centini」の編者はRangga Sutrasna といわれ、テンペに関する記載は、一文節「タマネギと調理前のテンペ」にみられます。この「Serat Centini」という文書は1815 年頃に書かれましたが、その題材はSultan Agung(1613~1645)の時代のものであるので、遅くとも1600 年代の初めにはテンペは存在していたと思われます。しかし、テンペはもっと古い時代からあると思われます。
インドネシアにおける大豆利用の最も古い記録は1747 年で、オランダの植物学者Rumphius によるものがあります。しかし、大豆はインドネシアにはそれ以前からありました。大豆の原産地は中国の東北地方で、インドネシアに入ったのは華南と定期的な交易の始まった1000 年頃といわれます。インドネシアに大豆が伝播される以前には、テンペに似たものは他の材料、たとえばココナッツを用いて作られ、大豆が伝播されると大豆で作られるようになったと考えられます。一説ではこれがテンペの起源であろうといわれています。ココナツを原料としたテンペは現在でもみられ、テンペボンクレックの名で知られています。もう一つの説はテンペ製造のヒントは中国人が醤造りに大豆こうじを使っていたことから変化したものかもしれないというものです。
テンペの歴史
インドネシアは1600 年代の後半からオランダの植民地であったためテンペの研究を最初に手掛けたのはオランダ人です。1875 年発行のジャワ・オランダ語辞書にみられるテンペの記載が最初のものと思われます。1895 年には微生物学者であり化学者でもあるH.C.Prinsen Geerligs によりテンペ菌の同定が試みられています。その後もテンペの研究はなされましたがいずれもオランダ語で書かれています。
英語でテンペが解説されたのは1931 年、J.J.Ochse によるものが初めてです。
南アメリカのスリナム農業研究所長Gerold Stahel によると、第二次大戦中テンペはインドネシアと周辺の国々の捕虜収容所で貴重な栄養源として役立っています。研究は捕虜収容所内で行われ、そのいくつかは捕虜自身の手によりなされています。このことで多くの捕虜がテンペのおかげで命を長らえています。大豆は消化性が悪く、特に体の弱った捕虜には消化が困難ですが、テンペにすると、テンペの酵素により大豆が分解を受け消化性が良くなり、赤痢のため栄養失調で苦しむ捕虜でさえ消化ができたといわれています。これらの研究報告は複数の人により報告されています。
1954 年フィラデルフィア総合病院のDr.Paul Gyorgy はテンペの研究を開始し、後に村田希久がGyorgyの研究に加わっています。1958 年にはコーネル大学のニューヨーク農業研究所のDr.KeithH.Steinkraus、イリノイ州の北部中央研究所のDr.Clifford W.Hesseltine がテンペの研究を開始しました。
各グループの研究の結果、世界中の微生物学者と食品学者の間にテンペに対する興味を引き起こしました。また、1961 年には米国で最初のテンペショップが開かれ、1970 年代にはアメリカの食卓に入り込んでいます。